親が自分よりも小さく見えた時

日常

私にとって両親は、絶対的な存在でした。

特に父親は、一家の大黒柱として、誰ひとり口ごたえのできない存在で、右と言えば右、黒と言えば黒。父にわからないことは何一つないし、困った時は頼ればいい。

そんな父が亡くなった時は、本当に呆然としてしまい、私はずっと泣きどおしでした。一方、その時の母は気丈に振る舞い、立派に喪主を務めたことに驚きました。私はこの人にはかなわない、そう思いました。

そんな母も気づけばもう高齢になりました。ふと気づけば、何かと私に頼ることが増えるようになっていました。守る側、守られる側。いつの間にか、立場が逆転していたのです。

特に母が病気になって入院し、手術後に麻酔が解けない状態の母は、こんなに歳をとったんだなと思う程、小さく見えました。

いつまで経っても親は親、子どもは子どもかも知れません。でも、その関係性は変化していかなければ不自然ですし、ある意味では不幸かも知れません。

突然ですが、この頃の日本の姿を見て、同様のことを想うことがあります。

今まで国民は、国家の下に安全を保障してもらってきていました。それが当然の事として。「税金を払っているのだから」との理由つきで。

でも、いざコロナという得体の知れない敵に出会った時に、国民全員が子どものように頼り切るには、国家はあまりに無力でした。

いまや、ひとりひとりが「自分は守ってもらって当然、なんとかして!」などと言わずに、少なくとも国民としての自分の意志をしっかりともたなければいけない時期にきているのではないでしょうか。

政治家に何とかしろと文句を言うのであれば、自分も参政権があるということを忘れてはならないのではないかと思うのです。つまり、何とかしろという暇があったら、自分が議員になって何とかすればいいのではないかと。

選挙は投票するだけではなくて立候補することだってできるということを忘れている大人が多いように思います。

話がどんどんずれましたが、結論としては、自分が今できる最大限の努力で、人の役に立ちたいと思うのです。家族という小単位でも、日本や世界という大きな単位でも。

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